ディズニーは完全に舵を切ったと思う。「多様性」と「ありのまま」肯定の方向に。
ディズニーの意思はアメリカの意思。アメリカの意思は世界の意思。
この流れはもう止まらないだろう。
全ての人が「その人として生まれ、その人として生きていく」ということを否定されない、というよりも、否定することなど許しはしない、と言わんばかりに、ディズニーから放たれる強いメッセージ。
人は誰でも自分の望む方向の自分を最大限に追いかけていい。進むもとどまるも自由。変化することもしないことも、自らの役割を全うすることも拒否することも、何もかも全て自分が決めること。
個人として独立して生き、独立しているからこそ成立する、相手に依存しない友情。そんな友情の尊さを高らかに謳い上げるこの作品は、私の中で歴代ディズニーCGアニメベスト1に輝いた。
ちなみにセルアニメ1位は「バンビ」です。
「シュガーラッシュ オンライン」には、私の大好物がてんこ盛りに盛られている。
・ 新しい世界に目をキラキラさせて飛び込んでいく元気いっぱいの女の子(若草物語のジョーの系譜)
・心優しく不器用な男(フランケンシュタイン、泣いた赤鬼の系譜)
・クールで小粋な姉御キャラ(宮崎アニメのクシャナ、不二子系)
それに加えて、随所に散りばめられた皮肉なユーモア。
クライマックスでは、歴代のディズニープリンセスが力を合わせてヒーローを救うという胸アツ展開も用意されている。
カーチェイスがまた凄いんだよ。アニメだからこそ出来るアクションなんだけど、かと言って、現実には絶対出来ないかというと、ひょっとしたら出来るんじゃね?と思わせるリアリティがある。とにかくカッコよすぎる。
娯楽作品として楽しめるだけでなく、深掘りしようと思えばいくらでも深掘りできるテーマの多面性もある。 特にラルフというキャラに関しては、それだけで2000字ぐらい書けそうだ。
私は「シュガーラッシュ」という映画の存在を全く知らなかった。したがって、この映画がその続編だということも知らなかった。それでも全く問題なく楽しめた。
もしかして前作を見ていたら、逆にここまで感動しなかったかもしれない。確認のために明日レンタルショップで DVD を借りてこようと思う。
そうそう、書き忘れてた。
エンディングでは、英語と日本語の2曲が流れる。
最初のエンディング曲が終わったところで、ちょっとしたエピソードが流れるのだが、これが凄く後味悪い。感動に冷水をぶっかけられて、映画の余韻がブチ壊しになった。
なんでこのエピソードを入れたのか、ずっと考えてるけど、制作側の意図がいまだにわからない。何の意味もなく、ただの悪ふざけでやっているとも思えないのだが…