血の轍 最終巻を読んだ
私はずっと静一のことが可哀想だった。こんな親のもとに生まれてこなければ人並みの幸せな人生がおくれてたはずなのに、と。この親のせいで人生をめちゃくちゃにされたのだ、と。しかし最終巻を読んだら、静一にとっての幸せとは、別に人並みの人生をおくることではなかったのかもと思った。
静子を見送った後に描かれるのは、何が幸せかということすら考えていなさそうな、そんな事はどうでもいいという以前に、意識してもいないような静一の日常。ただ生きているだけ。そこに何の意味もなく、その意味のなさが逆に救いになっているような。そんな静一の人生。
ラストの静一は即身仏のようにも見える。あの丘の上から見える光景は涅槃のようだった。
【ネタバレあり】「君たちはどう生きるか」を見て思ったこと
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下の世界で真人は若き日の母と出会う。母はスカートにエプロン姿でパンを焼き、バターを塗り、真人に食わせる。着物に割烹着姿ではない。ご飯と味噌汁でもない。住んでいるのも洋風の家だ。
大叔父の若き日の写真を見ると、とても日本人には見えない。西洋人のようである。大叔父は言う。「私の血を引いたものでなければ、石を積む仕事は引き継げない」
東洋が木の文化と言われているのに比して、西洋は石の文化と言われる。西洋思想をベースに持つ者にしか石は積めないということなのだろう。
しかし、その西洋文化は、今や悪意にまみれ、崩壊の危機にある、と大叔父は言う。
いいのだ。崩壊したって。どうせ先は見えている。崩壊してしまえばいいのだ。石の文化なんて。と宮崎駿が思っているかどうかは知らないが、私は思っている。
では、これからは東洋思想の時代なのかと言うと、ここからが私の論理の飛躍になるのだが、これは西洋だの東洋だの右だの左だのと言う以前に、男文明の行き詰まりだと私は思っているのである。男の体で生まれた人間を基準にした制度設計がそもそも間違っているのだ。
生物の基本は、産み、育て、種を存続させることにあり、産む体を持った人間を標準として制度設計されない文明は必ず崩壊する。今の世界がこういう状態になっているのは必然なのだ。
この映画には食事のシーンが3度出てくる。最初は老いた女中たちから。次に成人女性のキリコから。最後に少女である母から、真人は食事を提供される。食事を提供しているのは、全員女。男が女に食わせてもらって命をつないでいる。少なくとも、この映画の中ではそう描かれている。
とりあえず女の言うこと聞いて生きとけ。女を支配しようと思わずに生きていけ。男の言うとおりに生きていくより、女の言うとおりに生きていった方が今よりだいぶマシな世の中になるはずだ。
povoちゃんに知っておいてほしいこと
昨日から #今日のpovoちゃん というタグで、povoちゃんの回線速度をツイートしている。この機会に 1ユーザーとしての私の考えをpovoちゃんに聞いてもらいたい。
KDDIにお勤めの方々はそれなりの給料をもらっていると思う。だから、お金に困っている人たちの動向が今イチよくわかっていないと思う。私は押しも押されぬワーキングプアなので、彼らに真の貧乏人のサンプルを提供できると自負している。
貧乏人というものは、お金を使いたくても、そもそも使えるお金が入ってこない。いかにして使わずに済むかだけを考える。
私の場合、自宅と職場ではWi-Fiが使えるのでpovoは必要ない。必要となってくるのは出先で地図や天気を確認したり電子マネー決済する時くらいだ。その際、povoの回線を使えないこともないのだが、いかんせん重い。重過ぎる。決済のためのアプリを起動するだけで何十秒もかかってしまう。なので、結局ロケットモバイルのタブレットを持ち歩いている。
povoは基本料0円の携帯電話としてしか使っていない。
こういうユーザーはKDDIにとって有難くないはずである。何とかして金を落とさせたいはずである。ではどうすれば私のようなユーザーに金を落とさせることができるのか。
それはズバリ、価格据え置きでデータトッピングの使用期限を無期限に変更することである。
ギガ活でもらえるデータトッピングも同様だ。使用期限がある(しかも短すぎる)から金を出す気にならない。期限がなければ、ちょっと余裕があるときに少額のデータを買っておこうかなという気持ちにもなる。
逆に高額のデータが買えるのは金に困ってない層だと思うので、そっちは今まで通りの期限つきでいいと思う。たとえ300ギガで無期限になろうが1万円以上の価格だったら貧乏人には手が出せない。そこそこ以上の収入がある層なら喜んで飛びつくだろうが、飛びつきたくても飛びつく金がないのが貧乏人なのだ。その層は一度に3000円以上の金は出さない(出せない)と認識していただきたい。
とりあえず1ギガ7日間390円のトッピングだけでも使用期限を無期限(最低でも半年)にしてもらいたい。そうなれば私は買う。というか、そうしなければ永久に買うことはない。私の収入が増えない限り。