雑文集

文章と漫画を描いています

多分私はXジェンダーだと思う、と思ってた

 

以下の記事は 2018/11/27 21:39 に投稿した「多分私はXジェンダーだと思う」という記事を再掲載したものである。この二年間の間に新しく得た知見もあり、私の考え方も修正された部分があるので、文末に加筆しておく。

多分私は X ジェンダーだと思う

よく「女は灰になるまで」とか言うけど、あれは嘘だ。 人による。
「子供を産みたいと思うのは女の本能」とも言うけど、それも嘘だ。人による。

「女は○○だ」みたいなレッテル貼り、 あれを聞くたんびに「それに当てはまらない自分は女じゃないのか?」と納得いかない気分になる。

いや「なる」は正確じゃないな。 「なってた」が正しいな。 というのも最近になって 「X ジェンダー」という言葉を知ったから。

人間には生物学的な性と社会的な役割としての性がある。 前者をセックス、後者をジェンダーと言う。 そして生物学的な身体の性と社会的に求められる役割 の性が一致していない人のことをトランスジェンダーと言う。

世間では、女の体に男の心、男の体に女の心を持った人のことをトランスジェンダーと言っているようだが、私はそれは正確ではないと思っている。女の心、男の心などというものは、もともと存在しないものだから。

男上位の社会の中では、男が女に押し付けた役割をうまく演じることが女の生存戦略となる。 女らしさ= 優しさ、素直さ、従順さ、可愛らしさ、控え目さ、男の目から見て好ましい美しさ等々は、女が男から気に入られるために学習して身につけるものであり、個々人が生まれながらに備えている性質ではない。

今の社会では、生物学的な性と逆の性自認を持った人は 体を手術したり戸籍を変えることによって精神的な苦しみから逃れようとしているが、もしも本当に男女平等な社会が実現したら、そうする必要はなくなるのではないだろうか。

男がスカートを履いたり化粧をしても、それが当然であると受け入れられ、女がノーブラのタンクトップにショートパンツという姿で夜中にほっつき歩いても性犯罪に遭わないような、そんな社会が実現したら、性同一性障害なんて障害でもなんでもなくなると思う。

そんな世の中が来るのか来ないのかは置いといて、 X ジェンダーとは何かと言うと、自分のことを女でも男でもないと感じている人のことだ。

私はずっと「みんなの言う『女』に自分は当てはまらないな」と感じることが多かった。かといって自分を男だと感じたことも、男になりたいと思ったこともなく、女の中の異分子として生きてきた。

好きになるのは異性だけれども、その好きな異性からであっても、女扱いされるとイラッとすることが多かった。 「ちゃんと化粧すればいいのに」なんてことを言われても「カレに愛されるために頑張ってメイクしなくちゃ❤」などとは微塵も思わず「うるせーよ」と心の中で毒づく、そんな女っ気ゼロの女だった。

子供の頃とか若い頃とか自分に力がない頃は「相手の求める役割に自分も応えなきゃ」という殊勝な心がけが多少なりとはあるのだが、年を取るにつれ、自分一人で出来ることが増えてゆき、自信がつけばつくほど「他人が自分に求める役割なんか知るか」という心境に達してしまう。

そういう心境に近づくにしたがって恋愛感情も消えていく。どういうメカニズムなのかわからんけど。

今では素敵な人を見て素敵だなと思うことはあっても、若い頃に感じたキュンキュンする感じとか全然湧いてこない。

そう考えると「女」ってすごいね。「灰になるまで」だもんね。
私には女の気持ちは一生わからんと思う。男の気持ちもだけど。

 

トランスジェンダーと性別違和は別物である

生物学的な性と逆の性自認を持った人は 体を手術したり戸籍を変えることによって精神的な苦しみから逃れようとしている

私は元記事で上記のように理解していたのだけれども、どうもそれが正確ではなかったらしい。上記の書き方では単に「体の性別とジェンダーが一致しない人」が手術を望む、といった意味になるけれども、性別違和という症状はジェンダーに関係なく、自分の身体に違和感を覚えるものらしい。そのことによって精神的な苦痛を感じ、その苦痛から逃れるために手術が必要となり、手術が完了した身体の状態のままで社会生活を送ると支障が生じるので戸籍も変更される、ということのようだ。

つまり、女あるいは男としての人生を生きたい→そのために戸籍を変えたい→そのために手術をしよう、ではなく、まず自分の身体に強烈な違和感があって、とにかく身体をどうにかしないことには精神的に追い込まれてしまう、というのが性同一性障害者の抱える悩みのようだ。

なので、私が書いた「ジェンダーのない社会が実現したら性同一性障害なんてものは障害でもなんでもなくなる」という認識は誤りだったと言える。

ただ、現実に即して言えば、性転換手術をし終えた後で、自分の身体違和が実はジェンダー違和によるものだったことに気付いて、手術したことを後悔している人たちも少なくないらしい。性同一性障害と診断された人の中には、ジェンダーのない社会であれば、特に問題なく生きていけていたはずの人が結構な割合で含まれているのではないかと思う。

トランスジェンダー、すなわち、ジェンダー(社会的に設定された性)をトランス(変換)させたいだけの人は、自分の身体には何の違和感も持たない。手術の必要性も感じない。そういう人たちはこの世からジェンダーがなくなればトランスする必要もなくなるだろう。

結構なことじゃんか、と私なんかは思うのだが、何故かトランスジェンダー、特にMTF( Male to Female)と呼ばれる人たちはジェンダー解体を強烈に拒否する。ネット上では「くたばれGID(gender identity disorder=性同一性障碍者)」と叫ぶMTFを何人も見ることができる。

彼らは何故そんなにもジェンダー制を維持したままにしておきたいのだろう。

女の体にはなりたくない。しかし女子トイレにも女湯にも入りたい。「男の体のままで女性専用スペースに入るな」と言われれば「それは差別だ!」と主張する。そんな「トランスジェンダー」の人たちが今日も元気にネット上で「トランス女性は女性です」と言い張っている。自分の股間にぶら下がっているものは「これは巨大なクリトリスだから男根ではなく女根と呼ぶべきだ」などと言う。

男の体のままで女性専用スペースに入るために彼らは「体は男性でもジェンダーは女性である」というレトリックを使う。しかしジェンダーそのものが消失してしまったら、それが使えなくなってしまう。彼らがジェンダー解体をかたくなに拒む理由はそこにあるのではないか。

二年前の私は自分のことを、FジェンダーでもMジェンダーでもないからXジェンダーなんだろうな程度に思っていた。しかし今はXジェンダーを自称することそのものがジェンダー温存につながる行為だなと思うようになった。なので今後の私はただの女体持ちとして生きていこうと思う。