雑文集

文章と漫画を描いています

差別とは何か

 

私にとって SNS といえば Twitter である。 しかも私の興味は殺伐とした話題に偏っているので、言語による殴り合いを日々目撃していることになる。 毎日が いい年をした大人のしゃべり場である。

 議論は大抵噛み合わない。 前提条件とか言葉の定義がそれぞれ違うので、噛み合わなくて当然と言えば当然である。

 私が見ていて一番噛み合わないと思うのは差別に対する捉え方だ。 差別と区別、蔑視と偏見がごちゃまぜになった状態で全部ひっくるめて「差別」として語られている。そのために収拾がつかなくなっているパターンをよく見かける。

 以前、私が書いた記事の中に「差別はなくならない」と言う人が登場した。

reiwa04.hatenablog.com

 その人曰く「自分の家に他人を入れないのだって差別なのだから、差別がなくなるわけがない」のだそうだ。

 これをお読みの皆さんは当然ご理解頂けていると思うが、自分の家に他人を入れないことは差別ではない。 自分の家に許可なく他人が入ることはその家に住む人のプライバシーを侵害する行為であり犯罪である。 そのことは社会共通のルールである。

 このルールが特定の属性の人間にだけ適用されなかった場合に差別となる。 特定の人種や性別の人が住む家なら許可なく入っても処罰されないというようなことが起きているとしたら、それは住んでいる人に対する差別である。

 不特定多数の人々が社会生活を営む上では様々なルールが必要となる。 そのルールは主に権利の制限を規定するものとなっている。 例えば公道を車で走る権利は、速度や進行方向などに制限を設けることによって、安全と秩序が保たれている。 権利とは制限を伴うものなのだ。

 その制限に正当性があるかないかが、差別と区別を分ける指標となる。
 ところが、この正当性というものは、その人の立ち位置によって異なってくる。 そこで、何が差別で何が差別ではないかという論争が絶えないわけだ。

 私個人は、差別というものは強者が弱者に対して行うものであると思っている。 では強者とは何なのか。 次の記事ではそれについて書いてみた。

reiwa04.hatenablog.com