雑文集

文章と漫画を描いています

映画「町田くんの世界」にノレなかった理由

 

町田君はスペック的にはのび太である。地味なルックス。勉強もスポーツもできない。不器用で要領も悪い。しかし心映えが超イケメンなので、男からも女からも愛されまくっている。というのが原作の町田くんである。

 映画の町田くんはスペックは原作通り。善良でお人好しではあるけれども、ただそれだけである。 周囲からも浮いている。小馬鹿にされて若干キモがられてすらいる。

何故こんな改変をしたのか。

私はこの映画の上映開始後30分でギブアップし、劇場を出てしまったので推測で言う。

おそらく 序盤で町田くんをサゲ気味に描き、クライマックスでアゲることによって観客にカタルシスを与えようという狙いだったのではないかと思う。

この目論見の古さね。もう絶望的に古い。
非モテのダサ男が誠心誠意尽くすことによって美女の心を射止める」
こーゆーのもういいから。

これの何がダメって美女が男にとっての「御褒美」になってるところよ。また、「どんなに心が美しくてもスペックが低かったら誰からも相手にされない」という価値観が、クラスメイトたちの共通認識になっているところもダサい。 原作の世界はその真逆だからこそ新鮮なんだよ。

パッと見サエない町田くんの言葉に、女子も男子もキュンキュンうっとりして、老いも若きも町田くんのトリコになってしまう。そこが、この漫画の魅力なのに、なんでわからんかな。

原作の町田くんは、相手が言われて喜ぶ言葉、されて嬉しい行為を自然にやってのける。それは彼が人をよく見ているからである。よく見ているのは人間が好きだからである。

だから気づく。
その人が意地悪なことを言っていても、強がっていても、心の奥でどう感じているのか。その人が表には出さない本当の思いに町田君は気づく。

それが町田くんの見ているもの。
町田くんの世界

 この町田くんの視線を映画は全く描こうとしない。町田くんの視線を丁寧に拾っていくだけで素晴らしい映画になることが約束されているというのに。
この映画のスタッフはそうすることを捨てて、安易で陳腐なストーリー展開にする道を選んだ。ある意味ものすごい度胸である。

 安藤ゆきの作品を「町田くん」以外に何作か読んだことがあるのなら、この才能の前にはひれ伏す以外ないってことがわかりそうなもんなのに、真っ向から勝負を挑んでるからね。昆布やら鰹節やらで丁寧にとった出汁に「何か物足りない」って、化学調味料ブッ込むような真似、よくできると思うよ。

 そうなった原因がプロデューサーにあるのかスポンサーにあるのかは知らんけど、スポンサーだったとしたら、プロデューサーは徹底的に戦わんといかんところだよ。

と思って調べてみたら、スポンサー日テレで、プロデューサーは日テレの社員だった。(お察し)